2017年7月30日日曜日

時の流れ

もうすぐ8月。2014830日に
僕を殺す世界への1st demo
(正確には3枚目の音源)を出してから
もうすぐ3年の月日が経とうとしている。

同時に、ライブ活動を休止してから
それだけ時が流れたということだ。

3年もあれば状況は多方面に渡りガラリと変わる。

自分自身の状況はもちろん
家族や友人
音で、音楽で繋がった仲間。

結婚して夫婦となり
父になるもの
母になるもの。

会社で重要な立場を持ち
部下を抱えるようになるもの。

3
年前から変わらず
日々、妥協せず日進月歩で
表現の場において
自らの心を見澄ますもの。

事故にあって、もうこの世界には
いないもの。

ある意味3年という時間は
一人の人間が
別人になってしまうぐらいの時間なんだろう。

僕を殺す世界へというバンドは
2009年の8月に生まれた。

当時19歳~20歳の僕が
自分に課せられた状況や
運命を「僕を殺す世界」といい、
そこから逃げたい自分と
その世界に生かされていることに
気づいている自分のどちらの感情も
表現をすることで
僕を殺す世界へ自分が生きていることを伝えよう。
という思いから僕を殺す世界へは生まれた。

もう、あれから8年が経ったんだなぁ

と言っても、純粋に8年活動したわけじゃない

3
年間は形に残る活動はしていないし

メンバー脱退中の休止期間も含めたら
結成期間8年の内、4年ぐらいが活動らしい活動ができていたと言えるんだろう。

オリジナルメンバー、という言葉を使うなら残っているのは僕だけだ。
僕を殺す世界へを脱退した
元メンバーは5人。
皆それぞれに理由があったけれど、
僕を殺す世界へ自体はみんな好きでいてくれた。

それぞれが状況が変わって
新しい環境になるとき、
これまでのものを
これまでどおりにしていくのは難しい。
だから迷惑をかけてしまう前に抜ける。

そういった内容で脱退、解散をしてしまう件を多くみてきた。
僕を殺す世界へもそうで
波に乗っていけそうになった時、
脱退ということがあった。
もしかしたら、僕も
脱退したメンバーに
無意識にそういうプレッシャーを
かけていたのかもしれない。

実は今では僕がバンドの活動の足を引っ張っている状態だ。
曲は作っている立場だけど
全然練習に取り組める時がないということもある。
だけど辞めようとか、
解散しようという気持ちは
微塵も起きない。

今までのことを含めての
今の僕の気持ち。
これまでのものを
これまでどおりにするのは
今は無理だけど
今できる中でやり続けて、
この状況だからこそできること、
今の時期にしかできない強みを築いて
唯一無二のバンドらしいバンドを目指している。

2014年の4月の休止が決まった最後のライブで、
脱退したメンバーの穴を埋めてくれた新メンバーは、
2015年の2月に決まった。
このメンバーを紹介してくれたのは
音で繋がった仲間からだった。

そのメンバーと恵一さんと、
僕とで音を奏でる時、
なんとも心地よい音空間が生まれている。

「爺になっても何が何でも
僕を殺す世界へを続けたいね、
この3人で音を奏でていきたい。」

バンドは世界にどれだけいるんだろう。
星の数ほどないにしろ
たくさんあるんだろう。
その中で爺になるまでやってるバンドは
どれだけあるんだろう。
バンドの数だけスタイルはあるんだろうけれど、
僕はこの3人で奏でる音の中でバンド、
僕を殺す世界へと共に生きていきたい。

p.sもちろんライブをしないわけでないし、
新しい音源を出さないわけじゃない。
今は徹底的に育む時。
来るべき時が来た時は
一気にぶちかまします。

星が壊れる音と歌声を、届けます。

2015年5月24日日曜日

破解錠

破解錠


ひとつ またひとつと

鍵をかける

自身でも いつか

思い出さなくなるように

鍵を飲み込んで 

忘れるように 決める

こうで ありたい

ああ なりたい

こんなんじゃない

そうはいたくない

そんな自分のこと

2015年2月3日火曜日

バタフライエフェクト

僅かな動きが

大きな活動の一歩に



この二月は


そうなるかも


しれない。

2014年12月12日金曜日

同じ月をみている

愛憎の悠遠に揺らう
霞む表裏に幸せの
不安が射して逢不他話(アフタナ)。
暗い暗い。安堵が。

愛している。
燈す声(こえ)
記憶を起こす惰。
静寂に響く。

愛しさ、渦巻いて。止め処なく溢れ滲んだ『ねぇ。許して。」

君を愛している。
君を描く。

側にいるよ。離れていても。

拙く触れた
互いの  心 確かめ合う。
こんなにも、あたたかいね。

邂逅、そして追憶

五月雨のように降りしきる
あの頃の思い出
色褪せたのは私
今もまだ夢に見てる
目に見えないものが全て無いのなら
ここにある確かな気持ちを何というの
貴方の手
私の手
その間に
生まれる心がある
私これから何処に向かうの教えて
ねぇ教えて貴方と行った
あの場所の名前
ほら貴方と私ここにいる

壊れたままの時計

日々が過ぎ去ってしまうことがこんなにも怖いことだったなんてあの頃の僕は知らなかった。


あとどれだけ過ぎた日々を懐かしみ、後悔して、涙を流すのかは知らない。


「またいつか。」この言葉に込められた精一杯の優しさに、触れられると少し痛い。

壊れたままの時計の中に僕は生きたい。

2014年9月28日日曜日

心の声 僕のノイズ 回想その1

お久しぶりです。

四月のライブからもう五ヶ月も経ってしまいました。
空白のままにして過ぎた時間は、僕が思っている以上に大切なモノかもしれない。
だから少し、思いをはせながら巻き戻してみます。


四月二十日のライブが終わり、僕を殺す世界へはライブ活動を休止するとともに、自分たちの今ある曲の録音、DEMO音源作成作業に入りました。

元々はこのライブで発表できたらいいね、なんて言っていましたが、全てを自分たちで準備し、今できる最高の演奏を、マイクの位置調整から、編集、ミックスまで妥協なくするのにはとても時間がかかりました。

この音源ができ次第、脱退するたこちゃんにもだいぶ無理をいいましたが、月二回のスタジオで少しずつ、少しずつ、三人でパズルを組み立てるように作り上げてきました。

「いいね。この感じ、やっぱりこの曲はCDにすると際立つなあ」
「いままでにないくらい、というかやっとここでグルーヴがでてきましたね」
「うーん、このコーラス、もっとダイナミクスをここからさあ」
 「いや、それはミックスに頼る前に元がダイナミクスついてないとだめでしょ」
「よし、あとは歌録りのみ、全てワンテイク、ノーコンプでとってやる。」
「この音源ができたら、ベーシストも誘いやすくなるな」
「『全曲歌入れ完了、あとはミックス。がんばりましょう。』送信っと」



ある程度僕の方で組んだラフミックスを、たこちゃんの家で三人で安いパンみたいなピザを食べながら、明日も仕事なのに深夜まで。

「よし。無事…完成だ。」

僕らはやりきった達成感と疲れてたまった疲労感の入り交じったピザ臭いため息を深く、深く吐き出した。

それからホームページに試聴用のプレイヤーを入れ、CD用のジャケットや歌詞カードの背景の絵を描いた・・・。





僕を殺す世界への三枚目の音源。

高校ではボーカルをしていた僕が大学に入ってギターを始め、その一年後に組んだバンドが
僕を殺す世界へだった。
その冬に出したのが最初の音源。
次はその一年後の二月。

ローファイな音質だけれども、一番できの良い音源(DEMO)ができたかなと思っている。

試聴曲を公開してから三週間で500回再生、フランスの人たちが試聴用なのにお金を実際の音源の倍以上の金額でダウンロードしてくれたり、素直にうれしい。

僕を殺す世界へは活動期間は5年目。
だけど休止やらなにやらで実際は3年目。

僕、たこちゃん、恵一さん。
この三人で作った音楽、できれば正式なアルバムという形で出したかったけれども、
これはこれで良い。そう思える音源だと思う。

まだベーシストは見つかっていない。

心の浮き沈みは当然ある。
焦りも。
不安も。


けれど


終わらせるという選択はでてこない。



僕を殺す世界に、僕は生かされている。




僕を殺す世界へ五曲入りスタジオDEMO
収録曲
未来へ
抹消
同じ月を見ている
GORUDOGORUS
臨月