2014年12月12日金曜日

同じ月をみている

愛憎の悠遠に揺らう
霞む表裏に幸せの
不安が射して逢不他話(アフタナ)。
暗い暗い。安堵が。

愛している。
燈す声(こえ)
記憶を起こす惰。
静寂に響く。

愛しさ、渦巻いて。止め処なく溢れ滲んだ『ねぇ。許して。」

君を愛している。
君を描く。

側にいるよ。離れていても。

拙く触れた
互いの  心 確かめ合う。
こんなにも、あたたかいね。

邂逅、そして追憶

五月雨のように降りしきる
あの頃の思い出
色褪せたのは私
今もまだ夢に見てる
目に見えないものが全て無いのなら
ここにある確かな気持ちを何というの
貴方の手
私の手
その間に
生まれる心がある
私これから何処に向かうの教えて
ねぇ教えて貴方と行った
あの場所の名前
ほら貴方と私ここにいる

壊れたままの時計

日々が過ぎ去ってしまうことがこんなにも怖いことだったなんてあの頃の僕は知らなかった。


あとどれだけ過ぎた日々を懐かしみ、後悔して、涙を流すのかは知らない。


「またいつか。」この言葉に込められた精一杯の優しさに、触れられると少し痛い。

壊れたままの時計の中に僕は生きたい。

2014年9月28日日曜日

心の声 僕のノイズ 回想その1

お久しぶりです。

四月のライブからもう五ヶ月も経ってしまいました。
空白のままにして過ぎた時間は、僕が思っている以上に大切なモノかもしれない。
だから少し、思いをはせながら巻き戻してみます。


四月二十日のライブが終わり、僕を殺す世界へはライブ活動を休止するとともに、自分たちの今ある曲の録音、DEMO音源作成作業に入りました。

元々はこのライブで発表できたらいいね、なんて言っていましたが、全てを自分たちで準備し、今できる最高の演奏を、マイクの位置調整から、編集、ミックスまで妥協なくするのにはとても時間がかかりました。

この音源ができ次第、脱退するたこちゃんにもだいぶ無理をいいましたが、月二回のスタジオで少しずつ、少しずつ、三人でパズルを組み立てるように作り上げてきました。

「いいね。この感じ、やっぱりこの曲はCDにすると際立つなあ」
「いままでにないくらい、というかやっとここでグルーヴがでてきましたね」
「うーん、このコーラス、もっとダイナミクスをここからさあ」
 「いや、それはミックスに頼る前に元がダイナミクスついてないとだめでしょ」
「よし、あとは歌録りのみ、全てワンテイク、ノーコンプでとってやる。」
「この音源ができたら、ベーシストも誘いやすくなるな」
「『全曲歌入れ完了、あとはミックス。がんばりましょう。』送信っと」



ある程度僕の方で組んだラフミックスを、たこちゃんの家で三人で安いパンみたいなピザを食べながら、明日も仕事なのに深夜まで。

「よし。無事…完成だ。」

僕らはやりきった達成感と疲れてたまった疲労感の入り交じったピザ臭いため息を深く、深く吐き出した。

それからホームページに試聴用のプレイヤーを入れ、CD用のジャケットや歌詞カードの背景の絵を描いた・・・。





僕を殺す世界への三枚目の音源。

高校ではボーカルをしていた僕が大学に入ってギターを始め、その一年後に組んだバンドが
僕を殺す世界へだった。
その冬に出したのが最初の音源。
次はその一年後の二月。

ローファイな音質だけれども、一番できの良い音源(DEMO)ができたかなと思っている。

試聴曲を公開してから三週間で500回再生、フランスの人たちが試聴用なのにお金を実際の音源の倍以上の金額でダウンロードしてくれたり、素直にうれしい。

僕を殺す世界へは活動期間は5年目。
だけど休止やらなにやらで実際は3年目。

僕、たこちゃん、恵一さん。
この三人で作った音楽、できれば正式なアルバムという形で出したかったけれども、
これはこれで良い。そう思える音源だと思う。

まだベーシストは見つかっていない。

心の浮き沈みは当然ある。
焦りも。
不安も。


けれど


終わらせるという選択はでてこない。



僕を殺す世界に、僕は生かされている。




僕を殺す世界へ五曲入りスタジオDEMO
収録曲
未来へ
抹消
同じ月を見ている
GORUDOGORUS
臨月








2014年5月5日月曜日

ときしもあれ

古い言葉だけれども、なんとも日本人らしい意味が込められていて好きな言葉です。
読み方は少し、フランス語っぽいけれど。

最近はようやっと穏やかな時の刻み方をできる状況になり、季節の移り変わりや虫鳥の声にも耳を傾けたり...。

思いをゆっくりと文章にする時間もとれそうなので、4/20のライブのことなどを少し。

この日はやっぱり、僕にとって幸せな特別の日になりました。



自分自身を表現する音楽を始めて、深く知り合え、繋がった人たちとの再会。
新たに始まる音楽の形。ここで終わる音楽の形。

まさに、この瞬間にしかない音楽の姿を目の当たりにした日でした。


僕を殺す世界へを脱退するたこちゃんとの最後の演奏。
いままでにないくらい気持ちのいい演奏でした。

結成一発目のライブでありながら会場を釘付けにした深海600m。
何回も気を失いそうになった音の海。

また必ず音で繋がりましょう。



僕らは、自分たちが思っているよりずっと自由で。
縛り付けているのは自分自身がつくった限界という常識なのかもしれない。


今、僕を殺す世界へは五曲入りスタジオデモ音源と三曲入りEPの作成をしています。

新しいベーシストの加入はまだ未定ですが、自分を見失わずしっかりと表現に向かい合っていきたいと思います。

そして僕自身、新たな試みをさせてもらいます。

「煉獄」という名前でソロアートプロジェクトをさせてもらいます。
自分自身の限界を打ち破る意味も込めて表現にさらに真摯に向かい合い、具現化していこうと思います。


これからも暖かい目で見守っていただけたら幸いです。

佐藤

2014年4月3日木曜日

節目に思う。


四月に入り、思い返してみれば僕は今年で天理生活10年目。

親元を離れての生活を10年も続けてきました。

僕が15歳だった頃、58歳だった父は68歳になったわけで、

でも僕の山形で過ごした頃の記憶は今も色褪せず、あの頃のままだから。

たまに帰ると驚くばかり。

そして懐かしさと寂しさが入り混じった何と無く侘びしい感情に似た心の色が込み上げてくる。

僕は成長したのかな?
ええ、間違いなく成長させてもらいました。

自分の力ではなく、10年間の間に出会った全ての人々との出会い、別れ、関わりの中で。

そうなんです。与えられたものの中でぬくぬくと育ち成長してきました。

僕が自分自身と闘い、人の為に我が身を犠牲にして培われるものはまだまださっぱり育めていないような気がしています。

世の為人の為に出来ること。
というと大袈裟だけれども、特に才能に秀でている訳でもなく、人間的に魅力があり、世の中で凄い人、尊敬される人というのは皆自分の時間を他人の為に使えてしまう人だと感じます。

効率を求めると無駄だと思えることも、損だと思えることも、その時は無意味に見えても10年後に意味を有して咲かせることもある。


僕自身がどれだけ今の自分を捨てきって今までの自分の壁を打ち破れるのか、それは案外近くにあって、案外一枚の大きな壁ではなくて、小さな小石がつもり重なった山なのかも知れません。
地道に。その小石を拾い上げて、その山を越える自分自身の土台に変えていく。

むしろそれすらも変えていくのではなく、変わっていくなのかも。

一所懸命、それがつもり重なり一生、懸命に。
10年目の節だからこそ。大変な状況だからこそ。今までの自分の殻を破って人の為に我が身を少しでも使えるようになって山形に帰りたいとおもうのでした。

2014年2月11日火曜日

 自分が見てきたものすべての光景をもう一度みたい。

もうそこにはない場所。
なくしてしまった大切な物。
もう会うことのできない人。
すべての思い出を僕は再確認したい。

こころの中で生き続けるなんてつらいことばかりだよ。
この手で触れたい。
温もりを得ようとしても振りかえるばかり。

僕は少し急ぎ足だった。

2014年1月29日水曜日

時の流れ

時の流れ。
時の流れにこんなにも思いを馳せるようになったのはいつからだろう。
懐かしさを秘めた
この嬉しさとほんの少しの寂しさは、
僕のこころを満たしてる水を少し温めた。

別れの季節が近づいてるなぁ。
この春から写真家になる先輩とお風呂で一緒になって色々話をした。

今迄挨拶程度しかできなかった人だけれどやっぱり素敵な人だった。

もっと前からこうやって話できたら、な。と思えるいい時間でした。